さて、行くか。 -3ページ目

宣伝。

今日は、僕が実質的に運営中のフードデリバリー専門店「フードデリ 」の宣伝をちょっと。



サイト自体は最近初めたばかりでまだまだ至らないところだらけなので、


よろしければごらんになった皆様のサイトに関する感想などを頂けたらなと思っています。




現在、改定すべき点として僕が考えている点は商品の値段、商品の品数などです。


僕としては、他にも改定すべき余地はたくさんあると思っています。



今回、この「フードデリ 」をこのブログ上に掲載することは多いに悩みました。


この「さて、行くか。」は僕こと、Kayの思想、考えがあまりにも染みついていて


とてもビジネスの話をする場所としてはふさわしくないなと思ってからです。




しかし、僕がこの「さて、行くか。」を始めるにあたって世の中にこういう考えをもった人間がいる


またこういう考えをする人間がどういった行動をしてる・するのかを不特定多数の人間に見てもらいたいと考えていました。


この思いは今でも変わっていません。



そして散々迷ったあげくではありますが、自身のビジネスの話をこのKayの思想の分身とも言える「さて、行くか。」で掲載させていただきました。




感想や意見は一言でも構いませんので皆さんよろしくお願いします(;^_^A




過去日記第八弾・横浜のランドマークに光の曼荼羅。

今日は珍しく宗教ぎらいの僕が集宗教の活動をほめているようですね(^▽^;)


下のリンクはもうリンク切れなので見れません。見たいと思った方はご自分でお願いします(;^_^A



【2006/10/15 08:51】


横浜のランドマークに光の曼荼羅
http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20061014NN001Y23914102006.html



今週末は4つ重なっていたテストやエッセイが終わりゆっくりしながら

久しぶりのサッカーなどに出たり読み途中の本などを読みながら自分のための週末を送っています。

先週や先々週は他人やテストのために時間を潰していたような感じだったのでとても嬉しいです。


ネットのニュースで見かけた上記のニュース。

写真の綺麗さもさることながら、

その革新的な活動にとても感動してしまいました。


なんでも高野山などの僧侶たちが宗派の枠を超えて合同で協力したこのイベントなんだとか。

これを見てとても神奈川に帰ってみなとみらいに行きたくなりました。


宗教に宗派があるという時点で僕としてはくだらない概念だとか思ってしまう僕ですが、それは今回はさておきこの試みはとても仏教としては革新的でまた斬新といえるのではないかと思います。


今まで仏教に比べ違いキリスト教などはとても現代社会に適合した

宗教活動をするなとよく関心をしていましたが、



今回のこういった活動が続けば、

西洋に見劣りしない現代化された進化した仏教を海外にもアピールできるのではないでしょうか?

また、日本人の宗教に対する見方にとてもプラスに作用すると思います。

実際問題、宗教反対論者(無神論者ではない)の僕がとても心を打たれているのがいい例なのではないでしょうか(笑)?


なにはともあれ綺麗なものにモノの概念なんて関係ないですね(^^;)

過去日記第七弾・浮ついた日記。

うん、疲れてますね(笑)

しかし、こういった気持ちも今となっては懐かしいですね。。



【2006/10/11 18:00】



最近は、

毎日がとても硬い発泡スチロールでできた石橋を常時歩いているような気分だ。



それはべつに今日のビジネスのテストが難しすぎて多分BマイナスかCプラスををとったからではなく、

今週4つのテストがあるからでもなく、

自分のしたいことができていないからでもなく、

これから明日のテストに備えて事前に遺伝子についてのエッセイを書かなければいけないからでもなく

E=mc2に関する本を読んでいて、理論物理学者になりたいと思っているからでもない。



今日、北朝鮮の核実験のニュースを知った後の自分自身に気づかされたことがありました。

人間というのは不思議なもので、

あんなに日常を変えるような恐ろしい事件があった後でも、



泣くことや悲しむができるように、

笑うことや怒ることっていう感情が自然に出てきてしまうものなんだなと実感しました。


単にそれが僕からは遠いことだから僕の日常が変わらないというわけではなく、それは日本に住んでいる人も一緒だと思います。


これは人間の環境適応能力の高さなどと言う陳腐な言葉で括(くく)るのとは違うんでしょうね。

なんというかとても言葉で表すのは難しいけど、

人間ていうのは凄いものなんだなという思いがとても感じられました。


最近の日課は寝る前に日本で買ったE=mc2に関する本を読むことです。

この本は伝記形式なのでE=mc2に関してはそこまで詳しく記述されているわけではないんですが、僕のようなあまり物理の知識のない人間にとってはそれでもとても刺激的です。



…ただ翻訳のされかたがとても英語的日本語で見ていてイライラとしてしまいます。文も中途半端なところで中途半端な日本語を使っていたり、中途半端なところで中途半端なカタカナ英語が使われていて見ていてとても疲れます。。。




和訳された外国の本を見ていて思いますが、翻訳者の方々は翻訳の際、原文にこだわらずにもう少し日本語を重んじた形で崩して書いたほうがよりよい翻訳ができるだろうにといつも思ってしまいます。(特に学術的な本)



以上、Kayのとりとめのない雲の上から気分のうわついた日記でした。

過去日記第六弾・北朝鮮の核実験の余波。

この記事は北朝鮮が核実験をした時の日記ですね。


今もまだ安部さんが総理を継続していたら、どのように北朝鮮を処理しようとしたんでしょうね。



【2006/10/09 19:30】




ついにしちゃいましたね核実験(^^;)

するだろうなとは思っていたものの、


この日中首脳会談や日韓首脳会談の日程の間にするのは少々驚きでした。

安部内閣に変わり日中が痺れを切らす形で友好を世界にアピールした矢先のこの事件。


唯一、味方になりえる韓国と中国の面子をつぶしてしまった以上
国際的な孤立を深めるのは間違いないでしょうね。


この実験によって多くのというよりほとんどの日本人は恐怖感を覚えたでしょうが、一部の人間はこのニュースを聞いてほくそえんだことでしょう。


傍から見れば安部総理は就任早々の試練でかわいそうなどと見えるかもしれませんが、

僕からすれば、この事件は安部総理や一部のある思想を持つ人たちにとっては自分たちのやりたいことを成し遂げるためのとてもいい口実になると思ったのではないかと推論しました。

・自衛隊の軍隊化

・核兵器の保有

・憲法改正(9条以外の部分も)


緊急時というのは人はパニックになるものです。

そして団結していこうと思いやすくなります。

特にこういった緊急時に集団の意志にそぐわない人間というのは

世間に受け入れられないものです。


さて、9・11テロの時のアメリカ人と同じように

日本人は後(後世)になって自分たちは誤っていたと言うのでしょうか?


僕は正直、北朝鮮が現在の政治体制が変わらない限り北朝鮮という国に慈悲の必要はないと思っているので、

戦争はしても・起こってもなんの問題もないと思います。

戦争自体は問題なく北朝鮮の敗北で終わるでしょう。



ただ僕が危惧するのは、そこまでのプロセスと事後処理です。

これらを間違うと、そのプロセスや事後処理が生み出す軋轢などによりまた北東アジアの平和を乱す起爆剤となりえると僕は考えるからです。



さて安部総理にピンチをチャンスに変えるほどの手腕があるのかどうか、

総理の本当の腕の見せどころです!

過去日記第五弾・reconstructing one's self as a genius

このときは、

疲れてますねぇ。。笑



【2006/10/07 08:32】


as my favorite artist, Salvador Dari, had reconstructed himself as a genius for his most pleasure, his wife who was a noblewoman, i sometimes considere as making the same decision as Dari had chosen.

reconstructing one's self as a genius or something else making people keep the one in awe is sometimes needed.

rather than he actually was the genius, Dari assumed himself as one genius not to lose his wife's attention to him.


in my case, i, whose goal is far away from now, need to do that for not only that thing but also my business process stepping up to my goal(well...i'd better call it dream instead of it).


this is Makihara Noriyuki's my favorite lyrics part: "the important thing is changing one's self but not changing."

as well as changing forward, remainning the same place is the important aspect of humanity.

過去日記第四弾・悲しいね。。

世の中物騒ですねぇ。。

知ってはいても人間の醜悪さは見るに堪えない時がありますね。


【2006/10/07 07:36】



人間は浅ましいね・・・。

今日のニュースは少し寂しかったな。。http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20061006AT2C0603406102006.html
日経ネットニュースより「消費者金融会社が融資の際に借り手にかける生命保険について、金融庁は6日、17社を対象にした初の調査結果を発表した。それによると、消費者金融が2005年度に受け取った保険金約300億円のうち、44%の134億円分が「死因不明」。消費者金融と保険会社が交わす契約書で、一定額以下の保険金は死亡診断書などを添付しなくて済むためで、同保険を巡る不透明な実態が浮き彫りになった。」


人間はちっぽけな存在ではあるけども、


対等な存在の生命まで奪っていいとは思えない。

共食いという概念は確かに生物界には存在するけれども、


人間が人間としての概念を他の生物にもたらすのは道徳というものがあればこそだと思う。



過去日記第三弾・回顧録。


これは僕がある人との関係で悩んでいる時の日記ですね(ノ_-。)


今は過去の話ですね(笑)



今後の記事は午後7時からのアップとさせていただきます。



【2006/10/05 20:57】



「なんなのそのいつも歯切れのワルいのは?」

「おまえやる気ねぇなぁ」

「そうゆうところがキライ」




人の苦労も知らずに・・。

やれやれだなぁ。。





過去日記第二弾・円ではなく螺旋。


今日の日記は

当時の僕の思う人生観の一種を書いています。

【2006/10/02 17:34】



メビウスの輪のように人生とは∞ではないしひとつの円でもない。



昔、プロフェッサーが人生とはHeroic Circle(必ず事柄はスタート地点に戻るというセオリー)という輪でできているという意見に僕は異を唱えた。

僕は、人の人生とは永遠の螺旋だと思う。


螺旋の長さは人によって違うが

その螺旋は人の人生という道の上にまったく同じ軌跡の道を作ることによってできている。

そしてまたその螺旋はその人の人生のそれぞれの事柄や事象のそれぞれに対して形をなす。



僕は最近、ある事柄に対して螺旋の2周目の後半に入ったと自覚した。



今の僕しか知らない人は

僕の昔とは、今とほぼ反対の人間を想像してもらえればわかると思う。

冷静や無感情というよりはむしろすぐに熱くなりどんなことに対しても過剰なまでの気持ちを押し出して物事にあたっていた節がみられる。

※直情=周の前期 冷静=周の後期


それが1週目の始まりだった。

思春期後期という1週目の折り返し時点をすぎて僕は、

自分という人間の矮小さに気づいて人としての方向転換を図った。


それがニヒリストとしての僕。

思考体系も左翼的だったのが右翼的に変わった。


そしてここ1年ほどで、僕はある人の影響で2周目に入った。

2周目の僕という人間はヒューマニズムを取り入れた改革型右翼といった感じだった。

この間の僕は、とても懐かしい気持ちを思い出すことができて幸せだったと思う。

人としても、どんな知識者や偉人の意見や考えよりも大切なことをその人から学んだと思う。

というよりも気づかしてくれたんだと思う。





そして今年の夏が終わり、

あることに対して自分の中である程度の踏ん切りをつけることで

僕は2周目の後半に入った。
というよりも自らその状況に追い込んだ。

その今の僕は急進的左翼だと思う。

今の僕は今の目の前の仕事を成し遂げるまでは変わらないだろう。



しかし、僕はまた何かの拍子で3周目に入るだろう。

その時の僕が何型なのかはわからない。


しかし、1周目の最初や2周目の最初とは違った考えを持っていることだろう。

そしてそれは必ず過去のことを踏まえた上での自分の意思に基づいて導き出されるだろう。


人とは幸いなことに学ぶができ、物事を感じることができる物質だ。

学び・感じることでその事柄に対して進めるんだと思う。


今の僕が螺旋を下っているのか上っているのかはわからない。

未来のみが知ってると思う。


しかし今の僕は今の自分が上に向かって登っているんだと信じ、
またそれに邁進することでしか自己を保てない。


「ぐづぐづして日を送るは実に大馬鹿者なり」

尊敬する坂本龍馬の言葉を胸に、


将来の、

そして、

今の自分に対して恥ずかしくないように自己を作り上げたい。

いつもいつもopen-mindedである必要はない、

時には何かに対してnarrow-mindedでもいいじゃないか。



自身の信念をもつ人間は基本的にそうなんだろうけど、

僕は時代を作った偉人たちはいつもある意味でとてもnarrow-mindedだったと思ってる。

思考を狭めることで生まれる奇跡もある。

僕のもつ特殊なnarrow-mindednessが世の中にどれだけ通用するのか

僕は試してみたい。



過去日記第一弾・刮目せよ日本人!

先日の日記で明日も午後5時にアップすると書いたのですが、アップして時間を合わせるのを忘れていました(笑)

今日はこのブログを休止していた一年の間に他のブログで書いていた日記をアップします。



【2006/09/28 15:57】



僕が現在ホームページ作成に勤しんでいる間に日本はかなり変わってしまっているようで5年間続いた小泉内閣が終わり新しい内閣が誕生しました。

世論調査の結果、安部内閣の支持率は71%という脅威的な国民の支持を獲得したようですね。


僕がホームページ作成という現在の主題義務を少し脇においてでも今回の記事で日本の皆さんに言いたいことは、


相も変わらず日本人は盲目的で鈍感で愚かでまた責任を他人になすりつける準備をしているということです。


このブログの読者の方はわかっているかもしれませんが僕は小泉総理を支持していました(すべての政策ではありません)。

それは生まれて初めて政治に関して僕が自分の父と意見を違えることにもなりましたが、老いた人間には理解ができない内閣に映りやすかったのでいたしかたがないのかなとも思っていました。

小泉総理大臣の業績は後世の人間がどうであれ評価してくれることでしょう。


話がそれましたが、
まず第一に安部総理大臣と小泉元総理は根本的に違う人間です。

僕には日本人が日々のニュースやメディアを通してみる安部晋三という人の姿を見て盲目的にあの人は小泉内閣の政治を継続してくれて日本を良い方向に導いてくれるに違いないと思いこんでいるように思えます。

その考えは半分あたっていますが、半分は自身の無責任ぶりに気づいていない意見です。



これから安部晋三という人がやろうとしていることはナチスヒトラーなどと似たようなことをする可能性を持っています。

気づいている人も多いと思いますが、

あの方は極右派です。
俗に言うこのタカ派の人間というのは基本的に保守的で閉鎖的思考また、民族主義者です。
小泉総理もこのタカ派だったわけですが、あの方は自分の思想と自分の置かれたポジションをよく理解し、また自分の思想を外交戦略の一環として上手に使っていました。

小泉総理の業績で一番の大きいもののひとつは郵政民営化や規制緩和などではなく日本国の政治的立場を国際的に大きく押し上げたことだと思っています。

今までアジアでは中国は経済発展国で政治大国、それに対し日本は経済大国だが政治は鎖国的(第二次大戦の敗北の影響)といった感じでした。

この略図によってある程度アジアの平和が保たれていましたが、
近年それが崩れる事態がおきました。

中国経済の台頭です。

近い将来、日本を抜きアメリカに並ぶと言われている成長を見せ、またその経済力をもとにアジアでの影響力拡大を目指す中国。

もしこのまま日本を決してよく思っていない中国がこの成長を維持しアジアでの影響力の増加を望めば日本は将来どうなるでしょう?


日本の将来はとても楽観視ができるものではありません。


そこで小泉総理が取った行動は日本の外交戦略と国際的立場を押し上げるためのてこ入れです。

歴代の首相が行かなかった国々に飛び、支援などを約束し、
発展途上国に恩を与えまたその恩を後ろ盾に国連での常連理事国入りなどを支持してもらおうと考えました。

この戦略は政治大国化している日本を恐れた中国による働きかけにより白紙になりましたが、世界での日本の重要性は十二分に諸国に認識させることができたと思えます。


では安部晋三という人がしようとしていることはなんでしょう?

僕はあの方の言う再チャレンジ支援政策など経済に関する政策に関してはなんともいえません。
具体的に提示されたわけでもありませんし、何より小さな政府を目指すべき現代社会において政府が経済に対してすることは規制緩和など限られた姿であるべきだからです。

しかし日本が日本であるためには消費税の引き上げはやむを得ませんよ皆さん(^^;)


さて僕があの方に関して危惧しはじめたのは
あの方が言う「美しい日本を目指す」という言葉をニュースで聞いた時でした。


この言葉を聴いた時、僕は背筋が寒くなり、次の総理に違う人がなることを真に望みました。

前に記事でも書きましたが、自国を美しいとか自国民は優れているとか公然と言う人間が政治を主導して上手くいったためしはありません。

代表的な例としてナチスヒトラーは第一次大戦敗戦後の破綻寸前のドイツ経済を建て直しましたが、こういった思想の元に組織されていたのは有名な話です。

もちろんタカ派である小泉総理も公然とではありませんが、そういった態度はありありと出ていました。
しかし、あの方がしたことはそういったことを自分の支援集めや政治戦略に利用しただけでした。


首相就任前からこのようなことを公然と言う人間に対して皆さんはどう思いますか?

もし安部政権が長期政権になった時どのようなことが起きる可能性があるか皆さんわかりますか?


僕には数秒の思索だけでもこれだけ列挙できます。

1・自衛隊の軍隊化(このステップは残念ながらどなたが首相になっても変わらないかもしれません)

2・核兵器の保有

3・教育における思想のナショナリズム化

4・3の影響による閉鎖的思想化+国内でのグローバリズムの衰退(これは経済のことではなく思想のことです)

5・北朝鮮への先制攻撃

6・中国との戦争または冷戦化

7・ロシアとの関係悪化(これもいたし方がないかもしれませんが…)



さて、これらはすべて可能性の話であり、
もしかしたらこれから安部政権は歴史に残るような業績を残すかもしれません。



しかし、僕が日本に住んでいるすべて選挙権を持つ人間に言いたいことは、

「政治に対して盲目的であるな、刮目せよ!」

ということです。


僕は今回の世論調査のアンケート結果などをみていると本当にがっかりせられてしまいます。

「清潔感がある」「人柄が信頼できる」


日本人はバカですか?

人柄が信頼できると政治手腕に優れているのですか?清潔感があると国の経済を立て直せますか?

こういった印象で選んでしまうのは深層心理の面などもあるのであまり強くは言いたくありませんが、少し支持する理由がお粗末すぎはしませんか?

見るべきポイントはその人の容姿や雰囲気ではなくその人の政策とそれに対する姿勢や実績などです。



皆さんは本当に世間的にイメージの良い人間が良い仕事をしてくれると思っていますか?

支持するべき理由を自分の中で明確に持ち、その人の言う政策と共にあなたの将来のビジョンは広がっていますか?

メディア戦略や周りに流されていてはダメなんです!


政策というのはその人を正確に表しています。
果たして「美しい日本」とはなんでしょう?
あなたは「美しい日本」と共に将来を想像できますか?
またそれはどのようですか?


皆さん、僕の信念のひとつに
「無知であることは罪だ」という思いがあります。

外見で選んだ人間が失敗した時、
皆さんはどうしますか?
自分の盲目ぶりを棚にあげその人を野次り
今度は手のひらを返したように不支持にまわりますか?

皆さん、知恵と知識をもちましょう。
またそれに基づいて経験を作りましょう。
そして自分の思想に基づいて明確に意見をもちましょう。
そして最後に、その意見に責任をもちましょう。


このまま日本人のこのようなお粗末な考えの下、
選挙が行われ、その考えなしに選ばれた人間により政治が行われれば日本は将来どうなるでしょう?

政治が汚職や不正にあふれることは明白です。
皆さんはその都度、自分が選んだ(また自分がその道に導いた)政治家を罵りますか?

政治家も人間です皆さん。
そこにお金が落ちていてネコババしてもバレないと思えばネコババを大半の政治家がするでしょう。

「罪を憎んで人を憎まず」です皆さん。
犯罪者が罪を作るケースは稀です。
罪を作るのは犯罪者の環境なのです。
(だからと言って僕は、昨今の罪の軽減化や死刑廃止などの風潮は支持しません)

もしかして自分は政治家をダメにしているかもしれないと思いませんか?

考えましょう。
そして自分の意見をもちましょう。


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今日はとても長い記事になってしまい申し訳ありませんでした。

しかし、この問題はとても大事であり日本人が真剣に考えるべきことだと思い、このようなブログという小さな発信所からも警告をしたほうがいいと思い書かせていただきました。

最後まで読んで読んでいただいて読者の方に私・Kayから敬愛の念と感謝の念を示させていただきます。

ありがとうございました。




まっすぐ走る。

ページ右上の猫カウンターまわってますねぇ。


今までに8700人以上ものビジターがあるなんて信じられませんね(^ ^;


僕の記憶だと最後の日記を書いたときは6000もいってなかった気がするので


そう考えると日記を書かなくなってからも2700人以上の人が僕のブログを拝見されているというのは驚きです(;^_^A




さて、前説が長くなってしまいましたね。


今日の話はマラソンです(笑)


最近僕は、たまに夜に走っているんですが、

(よい子の皆さんは絶対にマネしないでください( ̄□ ̄;)!!銃を持った強盗に襲われても文句言えません(笑)!)



この前走っていて、走り続けるということに凄い意義を見出しました。


この前走った道は普段とは違いひたすらまっすぐの道でした。



夜中にまっすぐ走るのって大変ですね。


その道は街頭がないので夜になると真っ暗で道路上の白線しか見えないんです。


真っ暗な道をかすかに見える白線だけを頼り走るのってなかなか大変です。。



前に見える街灯まで走ろうと決めて走り始めたんですが、皆さん知っての通りアメリカってのはひとつひとつがデカイ国です。


走っても走っても街頭につかないんです(笑)



その日は風邪を引いてる中ノースリーブのシャツ一枚しか着ていなかったのでかなり寒かった僕は止めて帰ろうかななんて思ったりもしたんですが、


なんとなく自分に負けるのが悔しかったので走り続けました。





それで走ってる最中に感じたのが「これって目標に向かうプロセスと一緒だなと思いました」



ただひたすら真っ直ぐな道、途中に出てくる交差点で曲りたくなったりもするけど、


わき目も振らずただただ走り続けることでのみ目標に辿り着けるっていう事実。



走り始めはいろいろなことを思い、楽しみもあるけど、


進むにつれて襲ってくる大して変わり映えのない景色の中を走るという退屈感、それを自身に疑問視する空虚感。



走りながらこんなことを考えていたそんな僕の頭の中に浮かんできたのは、継続は力なり・なせば成るなさねば成らぬ、といった言葉でした。




無事に街灯に着き、2時ごろに家に着いた僕は真っ先にシャワーをとって今とっている天文学のクラスの勉強をしたあと泥のように寝ました。



日本では難しいかもしれませんが、ただひたすらまっすぐ進むって言うのは大変だけど、達成したときの喜びはひとしおですよε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ



ただ走るだけでも、その中に意味や意義を見つけると楽しいものですね。


大して締りの無い文ですが読んで頂きありがとうございました!




明日も5時にアップしたいと思います。